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風のように…

先日 知人との会話の中で、
一年前に母親が亡くなり、うちは無宗教なので、仏壇もなにもない、だから遺骨をミキサーに掛けて、粉々にして、敷地に撒いたという。
 その時は、別な重要事項の話し合いで、今の余談的会話には気にもとめない世間話程度で思っていたが…
 数日過ぎて、前述の会話を思い出すと…
 「えっ…本当に遺骨をミキサーに掛けたの?」と拝察する。
 私も初めて聞く話で、自分の観念からすると、遺骨と位牌が仏壇やお墓などそれなりの場所にあるものと思っていたが、
 調べて見ると…
 日本では、宗教的儀式は必ずしも必要ではありませんが、慰霊の行為を伴わずに遺骨を処分する方法は、法的にも社会通念上もありません。とある。
 最近は、樹木葬や海に撒く散骨葬、はたまた宇宙葬まである
結論は、体裁的なちがいだけなのか。 故人を偲ぶ心さえあれば 遺骨らしき物体がどこにあろうと 残された遺族の考え方で決まる。
 (宗教的な考えはよく分かりません)
   ★
 画家の梅原龍三朗が遺言に書いている。
   「生者は死者の為に煩わさるべからず」…と、あるが、
 この「煩う」という言葉の裏腹に
  「お付き合いが」とか「町内が」と煩わしいのであろう。
白州次郎が遺言で、自分が死んだ時は
 「1.葬儀無用  1.戒名不要 」 と書いている。
生前付き合いもなかった奴が、義理でゾロゾロと来るような葬儀などくだらない、まっぴらごめんだ。と言っていた。
 次郎は
 体調を崩し入院しわずか2日後に、何ら苦しむことなく単純明快な最期を迎えたという。
 遺言通り、知人や遺族達にて自宅で棺を前に酒盛りして故人を偲んだとのこと。

   ★
 自分も、生きている間に、散々みんなに迷惑を掛けてきたのだから、
死んでまでも、生きている者達に迷惑は掛けたくない思いだ。

 去る時は、風のように去りたい。

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