会社の親睦会としてこの度の被災に義援金を寄付を致しました。
25日の道新朝刊に見開きにぎっしりと寄付者の名前が載っている中から社員が「載っていた」と見つけていた。(ようこの中から見付けたものだと感心する程に小さな文字)
…カ)ゼストシステムシンボクカイ 13万95円…
親睦会が中心だから、私は殆どタッチはしていなかったが、後からの報告で、私は親睦会の会長Sに小言を言わなければならんかった。
その経緯はこうだった~
※期限を決めていた募金箱を空けて、お金を数えてA銀行に入金にいった。
Sは数えたとき125、095円だったので、その金額を記入して出したら、銀行の窓口で130,095円ですと言われて、自分の間違いだと思い、改めて入金票を130,095円と書き直して 入れて来たという。そして
その日の夕方A銀行から電話がきて、Sは不在だったのが、戻りしだいA銀行に電話を入れると、「ひょっとしたら5000円違ったいたのでは…」とのこと、色々やりとりの後に
それで、Sは「その5000円は自分で出しますから」と銀行に言ったという。銀行も「取り敢えず上司に相談しますので」との事だった。そして翌日銀行の方から「こちらで処理をした、申し訳ありません」と電話があったと言う
私がこの話を聞いたのは、新聞に掲載になったその日でした。
Sに小言を言ったのは、
「どうして、その5000円を自分が出します」と言ったのかという事です。
義援金という箱に入っている段階から それは親睦会の行事であって、その金額を親睦会として寄付をするのだから、自分がそこで5000円出しますと言うことはおかしいだろう」と言うことです。本人は責任感と義援金ということで「自分が出します」と言ったかも知れないが、箱に入っている金額は親睦会のモノで個人で調整するモノではないと言うことです。本人が5000円出すのであれば、それは義援金の箱に入れないと意味がありません。
これは、私が「お金」に付いてはいつも厳しく言っています
もし、店舗のレジで、売上げと現金が10円合わなかったら「そのぐらい俺がはらいます」と言うが、じゃ~逆に1000円多かったら「貰っておこう。」という考えと同じ事に成るからです。「先ほどの件が逆に5000円多かたらどうするんだ」と成るはずです。
今回の件は、ひとつは銀行の大きな汚点です。実際に銀行で違っていた5000円が本当に当社の義援金の間違いなのかも分かりません。
更に会長Sとしても、親睦会のお金であればチャンと数人で金額の確かめをしないといけません。
ま~あ…寄付をしたのですが、チョット笑うにも笑えない一件だった。
城南信金の真壁会長が
「日本の銀行がダメになった理由として」こんな事を言っています。
「かっての日本の銀行は各支店事に残っているはずの現金残高が1円でもあわなければ全員が残って現金と照合し、その1円の為に全員が帰してもらえなかった。
ところが、いくつかの銀行は、たった1円の為に一体いくらの残業代を払っているのかという不合理の理由で止めてしまった。
それから日本の銀行はおかしくなったと言う
目先の合理主義によって、お金を合わせるという現場の重要な掟を無くした、この慣行はお金を合わせる事が目的では無く、銀行員に1円の怖さを体で教えていたのだ。」という。
私も”社長の部屋”でお金に関して書いておりますが、お金は人を変えてしまいます。お金は怖い魔物です。
社長が日々の気づきや活動を綴ります
経営・夢・趣味 など幅広く執筆しています
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